ロシア語でしゃべる時間ですよ!::レッスン 05::国・文化情報
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知り合いの女性それともガールフレンド?

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ロシア語では「знакомый/знакомая」(知り合い)または「друг/подруга(友達)という言葉があって、使い方に気をつけなければなりません。

普段、同僚、隣さんなどの友達ではないが知っている人のことを「знакомый/знакомая」(知り合い)と言います。または、あまり良く知らない人のこともそういいます。

しかし、「друг」(友達)を使う場合、昔からよく知っている相手のことを言います。「школьный друг」(小・中・高校の友達)、「старый друг」(昔からの友達)、「близкий друг」(親友)などの言い方があります。友達とはより親密な関係と共通の趣味なだがあります。 「друг」とは男性名詞にも関わらず、女性に対しても使うことができます。例えば「Мария – она мой самый близкий друг:マリヤは私の一番親しい友達です」。

「подруга」(女性友達)という単語は少し違います。女性が使う場合、「女性友達」という意味になりますが、男性が使う場合、ちょっと違う意味になります。ある女性と友達関係であるのを示したい場合、ロシア人男性が「знакомая」(知り合い)という言葉を使います。逆に恋人関係であることをアピールしたい場合、「моя подруга/моя девушка」(私の彼女)という言い方を使います。」

あなたの女性友達、彼女について話す時に以上にニュアンスを忘れないで下さいね。

モスクワの地図

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もしまだモスクワの地図を購入していないならば、早めに買っておいたほうがいいでしょう。また、インターネットにも載っていますのでダウンロードできます。 map.yandex.ru.

モスクワの地図をご覧になって下さい。よく見たらモスクワには環状線になっている通りが多いことが分かります。中心部になっているクレムリンを囲んでいるように見えます。現在、クレムリンは大統領の職場になっていて、そこで大事な政治的な行事が行われています。昔はクレムリンに力を握っている人が住んで活躍していました。ロシア正教のトップである総主教もそちらに住んでいました。クレムリンは住処でありながら立派な要塞でした。クレムリンのエリアではロシアの歴史的な建造物がたくさんあります。

かつてモスクワという町は大きな壁のあるクレムリンの中収まるスケールでした。しかし、段々町が広がっていってクレムリンの周辺に「キタイ・ゴーロド」といういくつかの要塞ができました。現在まで残っていないですが、場所の名前はそのままです。それから、並木道が沢山ある環状線の通りができて、最後にモスクワの一番重要な環状線、「サドーヴォエ・コリツォー」という大通りができました。

モスクワからロシアの他の町に行けるように環状線と共に大通りをクロスする通りも出来上がりました。西にあるスモレーンスク市に続いているスモレーンスク通り、トヴェーリ市に続いているトヴェーリ通り、ドミトロフ市まで行けるドミトロフ通りです。トヴェーリ通りはモスクワの一番活気のある大通りとされています。高級レストランやショッピングセンターや人気のある劇場や映画館などが沢山集まっています。

モスクワのメトロは大旨地上にある通りに沿っています。中心部に環状線があって、その環状線をクロスする沢山の半径方向があります。クレムリンまたは赤広場などの中心部にある所に向かっている場合、中心に集まっている駅、どれかに降りればいいです。例えば:アルバーツカヤ駅、オホートゥヌイ・リャード、プローシャジ・レヴォリューツィイなどです。

ロシア料理(続き)

ペルメー二

ロシア料理には「ペールメーニ」という水餃子があります。元々ロシア料理ではないのですが、ロシア人に愛され続けています。ペルメー二はスープの中でも、そのままでも食べられますし、冷凍して長く保存できる万能の料理です。

ペルメーニはまず中国からモンゴルの侵攻者と共にシベリアに渡って、そこから全国では広まりました。シベリアでは晩秋に初霜が降りる頃、村の全員でペルメーニを大量に作っておいて、大きな袋に入れて、外で一番寒そうなところで雪の上に置いていました。そういうふうに春まで保存できていました。

ロシアではペルメーニの中身を甘い物を避けて、肉や魚やキノコなどにします。多くの人はペルメーニが茹でられたブイヨンも飲むのが好きです。ロシアではペルメーニにバター、コショウ、サワークリームを添えます。

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ジャガイモ

もう一つ、ロシアで馴染んできた食べ物といえば、ジャガイモです。今考えられないですが、ジャガイモが17世紀までにロシアでは全く知られていなかった。新しいものに目がないピョートル1世は初めてオランダからジャガイモの一袋を送ってきた。しかし、調理の仕方が不明だったため、最初はあまり受け入れられなかったにもかかわらず、農民達は政府に無理矢理にジャガイモ畑を作らされ、食べるように命令させられました。そうしたら、食中毒が大変に流行ってきました。農民達は食べ方が分からず、生で芋を食べたり、葉っぱの部分を食べたりしていたのは原因でした。19世紀の後半にやっとジャガイモの素晴らしさが理解されて、幅広くロシア料理に使われるようになりました。現在、パント同じぐらい主食として重要な役割を果たしています。ジャガイモを使って1000料理以上作ることが出来ます。

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カブ

古代ロシアでは最も人気な野菜だったのはカブです。キャベツの仲間であって、キャベツと人参と同じように冬期に保存できて、あまり手間掛からず育ちます。

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カブは体にいい野菜です。昔、食べ物としてだけではなく薬用としても使われました。現代はカブの栽培があまり行われていないです。あるカブの種類は家畜の餌ように植えられています。

カブの食べ方は2パターンがあります。生で食べるか茹でて食べる方法です。カブを調理するのはあまりにも簡単ですので、次のような慣用句が生まれました:「茹でたカブより簡単」。意味は「とっても簡単」です。

昔、カブが人気だったことを語るのは「大きなカブ」というロシアの童話です。話の趣旨はある日お爺さんとお婆さんの庭に巨大なカブが植えてきました。カブがあまりにも大きくて誰も抜くことが出来ないという話です。

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ウオッカ

ヴォッカという言葉が「ヴォダ」(水)という略語であってロシアで17世紀から知られています。15世紀まではロシアではヴォッカが全く飲まれなくて、ビールや蜂蜜が飲まれていました。15世紀からロシアの修道院で麦から作るようになりました。その頃、イヴァン3世はヴォッカの製造と販売に国の規制を掛けました。「ヴォッカ」という単語自体は18世紀から馴染まれるようになりました。それまでに「麦のワイン」と呼ばれていました。

ロシアのヴォッカの高い質の理由はアルコールの浄化にこだわる所にあります。18世紀の半ば頃、公家の人たちにヴォッカ製造することは許可が出ました。それで、皆さんがヴォッカ製造に積極的に取り組んで殆どの家で「ヴォッカ製造のミニ工場」が出来上がりました。こういう環境で出来たヴォッカの特徴とは様々なベリージュースのフレイバーで芳香されたことです。

1894〜1896年にヴォッカの作り方の国立標準が定められました。それは、アルコール40%になっている液体が石炭のフィルターで通されたウォッカのことを指していました。そのブランド名は「モスコーフスカヤ・オソベンナヤ」(モスクワの特選のヴォッカ)でした。そして、政府専売ウォッカ販売が始まりました。

モスクワとサンクトペテルブルクにロシアのヴォッカ博物館があります。

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ロシア人は毎日ヴォッカを飲んでいるというのは偏見に過ぎないです。ロシアではヴォッカと他のアルコール類はお祝いの集いに集まった客さんと一緒に飲みます。ロシアでは脂っこい料理やスパイシーな料理を食べる際ヴォッカを飲むと消化が進みますし、酔いにくくなります。

体がひどく冷えた場合も少しヴォッカを飲むと暖まります。薬用としてヴォッカを飲む場合、黒パンかピックルズを食べるといいです。

ロシアのお祝いに欠かせないホロデーッツ(煮凝り)とセリョードカ・パッド・シューバイ(塩漬けニシンサラダ)というごちそう

ホロデーッツ(煮凝り)

ホロデーッツ(煮凝り)はあまり美味しそうな見た目じゃないにも関わらずロシア人がとても好きな伝統的な料理の一つです。ホロデーッツの作り方は次のようです:肉の塊(牛肉または豚肉)を弱火で4−5時間に混みます。「肉」といってもホロデーッツ用でしたら、自然なゼラチン、膠(にかわ)が豊富な牛の頭、足、豚の耳、尻尾も入れます。そして、冷やしたらゼラチンが固まります。冷やす前に肉に人参、ハーブ、ニンニクと香辛料を入れます。最高に美味しいです!

同じ方法で魚のホロデーッツを作りますが、ゼラチンも入れます。魚の場合、料理名はホロデーッツではなくて「ザリヴノーエ」と言います。魚の部分にブイヨンを注いで冷やします。

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セリョードカ・パッド・シューバイ(塩漬けニシンサラダ)

セリョードカ・パッド・シューバイという料理名を直訳すると「オーバーを着ている塩漬けニシン」という変わったタイトルになります。物があまりないソ連時代に「安くて美味しいごちそう」というコンセプトから生まれた料理の一つです。ロシアでどこでも安く手に入る塩漬けニシンとビートからこんな美味しい料理を考えられて、上で面白い名前まで付けられるのは想像力の豊かなたくましいロシア人女性しかいないでしょう。なぜニシンはオーバーを着ているのかなと思いますよね。それは、お皿にまずニシンを置いて、その上に温かい分厚いオーバーのようにニシンが見えなくなる程ボリュームたっぷりのビートと他の野菜の層が置かれます。

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作り方は極めて簡単です。平たい皿に一口サイズに切った塩漬けニシンを置きます。そして、上に茹でた野菜を重ねます。まず、ジャガイモの層、次にゆで卵、人参、ビートです。各層にマヨネーズを掛けます。最後に来るビートの層にもマヨネーズを表面に伸ばしてパーセリやゆで卵のカットで飾ります。

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サラダについて

もちろん、サラダはもともとロシア料理ではありません。庶民は細かく材料が刻まれているサラダをあまり好まなかったです。18世紀に西の文化が流行るようになったらサラダとオドーヴル(ロシア語ではザクースカ)も西の食文化として入りました。20世紀に至ってザクースカはとても人気になって、ロシアの色に染まって国民に愛されるようになりました。例えば、欧米ではロシアサラダと呼ばれている「オリヴイエー」サラダです。

「オリヴィエ」サラダ

19世紀の始めにモスクワでフランス料理屋さんを営んでいフランス人のリュシエン・オリヴィエ氏はオリジナルサラダを考えました。それでそのサラダのことをオリヴィエサラダと呼ばれるようになりました。

ソ連時代は手に入る食材が限られていたので、ロシア人女性はシンプルで美味しいオリヴィエサラダのことを思い出してきました。もちろん、フランス人シェフがこだわった高級材料が他の物に入れ替わりました。現在、オリヴィエの材料とは細かく切った茹で卵、人参とジャガイモやソセージまたは肉、新鮮なキュウリとタマネギです。塩コショウで味を整えてドレッシングの代わりにマヨネーズを入れました。時々、レストランではオリヴィエサラダのことを「ストリーチュヌイ」サラダといいますが、全く同じです。

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ヴィネグレット

もう一つの人気が高いロシアのサラダといえばヴィネグレットです。「ヴィネグレット」という言葉はフランス語で「ドレッシング」という意味ですが、ロシアでは特定な料理を指すようになりました。オリヴエーと同じように茹でジャガイモと人参を入れますが、さらに茹でビートを必ず入れます。おかげで独特な甘い味と赤色になります。そして、ピクルズ、タマネギ、グリーンピース時々漬け物のキャベツを入れてサラダ油を絡みます。

ロシア人は非常にマヨネーズが好きでほとんどのサラダにマヨネーズを入れます。もし、お好みではなかったらマヨネーズを入れないようにと早めにお願いしておいて下さい。

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ピロシキ

ピロギはブリヌイーのように昔から伝わっている料理です。ロシアのペチカはピロギを作るのに最適で様々な種類のピロギがありました。美味しいピロギは家族円満の象徴でした。また、見合い、結婚式、葬式でも重要な役割を果たしました。徐々にピロギはお祝いのごちそうの欠かせない料理になりました。「ブリヌイーがなければ謝肉祭ではなくて、ピロギがなければ誕生日祝いは台無しだ」と言われています。

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現在はピロギの基本的な作り方とは甘くない生地を使ってキャベツか肉の中身を詰め込みます。まずは基地の層がきて、次に中身を入れてからまた生地で塞ぎます。ピロギの小さいバージョン、「ピロシキ」が非常に人気です。中身が様々です。煮リンゴ、ジャムなどの甘い中身のピロシキもあります。焼き方は2パターンがあります。オーブンで焼くかフライパンで焼く時もあります。

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紅茶

初めてお茶が17世紀半ばぐらいにヨーロッパと同じように中国のルーツを経てロシアにお土産として渡りました。最初の頃は薬用の物として流行っていましたが、徐々に全国に広まりました。ロシアの屋台ではお茶より、紅茶の方が値段が安くてよく売れていました。その頃から、ロシア人は紅茶が大好きになりました。

昔は紅茶のための湯を特別な機械、「サモヴァール」で作っていました。そして、紅茶の葉っぱを別の容器でとても濃く作っておいていました。サモヴァールを使う時代が終わりましたが、二つの容器を使う紅茶の作り方は今でも同じです。まず、カップに少々濃く作った紅茶を入れてから別のヤカンで作ったお湯を注ぎます。

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紅茶を食後楽しみます。普段、紅茶に様々なお菓子やジャム、ケーキ、クッキーなどが添えられます。ロシア人は紅茶にレモンと砂糖や蜂蜜を入れるのが好きです。そうしたら独特な風味が出てきます。

ロシア人は毎食後ごとに紅茶を飲みます。もし、人の家を訪れたら奥さんは必ず紅茶とお菓子を出してくれます。紅茶を飲みながら話がスムーズに進み、余計な緊張が取れます。また、時間と手間がかからないのにとても楽しいです。

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サモワールについて

「サモヴァール」とは昔から伝わってきたお茶・紅茶の湯を作るための機械のことです。サモヴァールの方式が中国で考えられましたが、そちらでは紅茶の湯を作るのに使われなかったようです。

サモヴァールの中心部にパイプがあって、そのパイプの中に木材チップ、松ぼっくり、石炭などの燃焼する材料が入れられました。パイプとサモヴァールの外壁の間、水で埋めます。サモヴァールに入れた物がすぐに燃焼して水を早く加熱するように、上部に高い煙突見たいな管をかぶせていました。サモヴァールで作った湯は長時間熱いまま保たれています。小さなティーポットで濃い紅茶を作る時にこの湯は使用されます。

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サモヴァールは初めてロシアで登場したのは18世紀末にトゥーラという所でした。トゥーラは兵器作りの都市で、ある職人が暇な時間に工房でサモヴァールを作ってみたそうです。サモヴァールがすぐに売れたので、生産が繁盛して小さな工房が大きな工場に返信しました。19世紀半ばぐらいにトゥーラには28件のサモヴァール工場がありまして、年に12万個のサモヴァールが生産されました!容量が様々で、3リットルの物から25リットルまででした。

現代、本物のサモヴァールを使う機会が殆どないですが、トゥーラでは今でも電気サモヴァールが作られています。もし、トゥーラに行く機会があれば、必ずサモヴァール博物館に足を運んでみて下さい。そちらではサモヴァールの歴史に触れられ、形の様々なオリジナルサモヴァールを見ることが出来ます。

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