ロシア語でしゃべる時間ですよ!::国・文化情報
Globus   Time  
ロシア文化情報 文法の解説 講座の辞書

戻る

ロシア文化情報 1

入国カードとは何ですか。移行カードの記入の例です。

миграционная карта

ロシアに入国の際、入国カードを記入しなければなりません。基本的にそれは何度も記入したことがある簡単なアンケートのことです。しかし、入国カードは、ロシア語のみで配られるので記入の例をお教えします。ローマ字での記入が可能です。先ず、姓、名を書いて、それから生年月日(日月年)と性別(男/女)を書いて、身分証明書、パスポートのデーターを記入して下さい。次にロシアを訪れた目標についてお書き下さい。公式的の訪問、観光、留学、仕事、プライベート訪問、トランジットから選んで下線を引いて下さい。それから右のコラムにロシアに招聘した組織や人物についてお書き下さい。組織名と住所(住所が必須ではありません)後、二つの重要な項目ががあります。それはビザの番号と招待状の番号です。最後にロシアに滞在する期間を記入して、右上の欄にサインして下さい。

モスクワの空港

Аэропорты

モスクワでは、3つの国際空港があります。シェレメーチエヴォ、ヴヌーコヴォとドモデドヴォです。各空港からはタクシーまたは市内バスで町まで行くことができます。タクシーは事前に予約するのが可能ですし、直接空港の前で拾うのも可能です。モスクワのダウンタウンまでの料金はおおよそ1000〜1500ルーブルです。もしドモジェドヴォまたはシェレメーチエヴォ空港に到着した場合、特別列車を利用すると便利です。チケットの価格は200ルーブルです。

空港の出口の前に個人でドライバーをやっている人が大勢にいますが、そういう方法で移動するのは高い上で危険です。

ロシア人はなんであまり笑わないでしょう?

Улыбка

初めてロシアを訪れる外国人はロシア人があまり笑わないという印象が強いようです。もしかしたら、笑うのは失礼だとか、それともロシア人んは笑うのは苦手だとか、やはりロシア人は無愛想で不親切だとか考えがちですが、さてロシア人は笑わないのは本当なのでしょうか?

もちろん、ウソです!ロシア人はギャグやお笑いネタなどが大好きで、コメディー映画が人気がありますし、お笑いライブも満席になるほど人気です。ロシア人は笑うのが大好きです!

しかし、ロシア人の場合、友達や親しい人に囲まれて自然な笑顔になっていても、外で知らない人に対して笑顔になるのは非常識の範囲です。伝統的にロシアのコミュニケーションの文化において知らない人間、余所者に対する笑顔は不要とされてきました。それは東洋の国々(日本、中国)に比べて正反対ですね。

現代、ロシアのサーブス界において東洋と欧米に影響のおかげで、笑顔は一般的なマナーになりつつあります。高級レストラン、5つ星のホテルやブランドのお店なら、100点満点の笑顔で迎えられますが、日常的に利用する施設の場合、あまり期待しない方がいいです。

ロシア人が本当に親切でフレンドリーかどうか確かめたければ、外で知らない人に何かを聞いてみて下さい。笑顔で「すみませんが、私は外国人で街(言語・国・ルールなど)がよく分かりません。チケット売り場/バス停/駅/カフェがどこにあるかは分かりません。助けて下さい。」と言ってみて下さい。助けてくれるに違いないです!

ロシア文化情報 2

知らない人に対する呼び方:「お兄さん!」、「お姉さん!」という呼び方について

Человек

現代のロシア語では知らない人に対する呼び方の言葉があまりないのは特徴的です。

1917年の革命までに、こういう言葉がちゃんとありました。革命の影響でロシアの生活スタイルだけではなくてロシア語も変化を受けました。1917年以降は幅広く男女を問わず、「タヴァーリッシ」(仲間、同僚)という言葉が使われるようになりました。公式な場では「グラージダニーン」(市民、国民)という言葉が使用されました。

ソ連の崩壊と共に「タヴァーリッシ」という呼び方も去ってきましたが、代わりの言い方が現れなかったです。空いているポストは、「若きお兄さん!」と「若きお姉さん!」という呼び方に占められました。もし、外で知らない人に何かを尋ねたいことがあれば、相手が男の人の場合、ロシア語で「若きお兄さん!」と声をかけて下さい。しかも、相手が60過ぎの人でもこの言葉が使えますのでご安心下さい。女性相手の場合も同じです。この言葉の直訳を気にせずに使って下さい。

モスクワの天気について

Погода

ロシアはとても広い国ですので気候も様々なパターンがあります。ロシアに行ったことのない外国人はロシア全国の冬が厳しくて雪に覆われていると考えているようですが、それは間違っています。ヨーロッパ辺りのロシアでは冬でも雪があまり降らず、それほど寒くないです。最近雪が少なくなってきたことが地球温暖化の影響もあると考えられています。比較的に大都市に比べたら小さな街の方が雪がよく降っているようです。

冬は早めに訪れることがあります。11月の半ばごろから雪が降り始めて平均気温は氷点下4〜2度です。しかし、雪が降っているにもかかわらず積もらないです。12月、1月は気温は氷点下10〜15度まで下がって雪が積もります。時々積もりすぎた雪が車移動を大変不便になってしまいます。

11月と12月は年に一番暗い月です。明るい時間帯は8時半から16時までくらいです。お日様が見える晴れた日が少なくて、ずっと薄暗い天気の日が続いています。以上の理由でそういう時期にいわゆる「秋の憂鬱」を煩っている人が少なくありません。

2月はよく雪が降っていますが、お日様がが見える日が多くて最高の冬期の月です。3月になっても冬が終わらないです。雪が降ったり、気温が氷点下2度〜5度までしか上がりません。春らしい季節は4月の半ばから訪れます。

国籍についての問題?おかしい...

Паспорт

ロシアでは、あなたは何者ですか?という質問に対して国籍を言う返事をするのを耳にしたことあるでしょう。「私はロシア人です」、「私はウクライナ人です」などです。ロシアでは国籍とは民族と問わず、アメリカ人なら、アメリカからいらした方、イタリア人の場合、イタリアからいらした方と言う風にその国に属しているということを表しています。

最近、進んでいるグローバル化によって同じ国に色んな民族の住民がが多くいます。しかし、ロシア語はそういう変化にいまだ応じていないです。もし、「あなたの国籍・民族は?」と聞かれたら気にしないで下さい。どこから来ましたかという意味ですから。

ところで、ロシアは多民族の国であって、色んな民族または少数民族の人々が大勢暮らしています。しかし、外国へ行く時に自動的に「ロシア人」になります。なぜなら、「ロシア人」というのは民族ではなく国籍を指している言葉で「ロシアから来ている人」という扱い方になります。

ロシア文化情報 3

「君」と「あなた」の使い分けについて

ロシア人は話す相手と場所によってお互いの呼び方が異なります。

Шаблон

正式な場では初対面の人に対して話しかける場合、名前とミドルネームで呼ばなければなりません。例えば、イヴァン・イヴァノヴィッチ、マリヤ・ニコラエヴナ、などです。「イヴァン」、「マリヤ」とはいわゆるフルネームであって、「ペトローヴィッチ」、「ニコラエヴィッチ・ニコラエヴナ」とは「ピョートル」、「ニコライ」という名前からできたミドルネームです。しかし、若い人たちは初対面でもミドルネームを言わないでフルネームだけで自己紹介しますが、代名詞で呼び合う場合、「Вы」(あなた)と呼び合っています。

Шаблон

親しい友達の間、家族の間柄、学校でお互い呼び合っているときにフルネームじゃなくて略した名前を使います。例えば、アレクセイの略はアリョーシャ、マリヤ=マーシャ、ピョトル=ペーチャ、レフ=リョーヴァなどです。こういう風に呼び合っている人たちは親しい間柄であって、「ты」(君)という代名詞を使います。略した名前野場合は男性でも「-a」で終わるケースが多いので要注意!(ヴァーニャ、セリョージャ、アリョーシャ、ディーマなど)

他にもかわいらしさを表す呼び方があります。例えば、マーシャ=マシェニカ、セルゲイ=セリョージェニカ、オリガ=オレチカなどです。子供またはとても親しい人に対して使われます。こういう呼び方の作るには名前の略に可愛らしさを表す接尾辞を付けることによってできます(-еньк, -оньк, -ечк)。

と言う訳で、人々がお互いのことをどういう風に呼び合っているかということによって、どういう関係であることが分かります。

モスクワのホテルについて

Шаблон Шаблон

モスクワは10万人以上が住んでいる大都会です。毎日、 200万ぐらいの人は郊外から働きに来ています。そして、観光客の数も数えきれない程です!残念ながら、モスクワでは、特にダウンタウンエリアにおいて安いホテルが非常に少ないです。と言う訳で、事前にホテルの予約することをお勧めします。ホテルをオンラインで探して予約するのは無難でしょう。ホテル探しに役立つサイトが多くあります。ご参考に以下のリンクをご覧になって下さい!

www.bookingmoscow.ru
ロシア語での情報です。こちらでは、条件や予算に合わせて様々なホテルのリストを見つけることができます。このサイトでは、お部屋の写真を見ることが出来て、利用したことある人のクチコミ情報を読んでから、気に入った部屋を選択することができます。
www.selectrussia.com
英語でホテルの情報です。
www.all-hotels-online.ru
モスクワのホテルが数多く紹介されているサイトです。ホテルの位置や得点について口コミ情報が豊富です。

治安の問題です

Шаблон

初めてロシアを訪れる人は特に気になるのは治安のことです。治安の悪い地方があるかとか夜、レストランや劇場などから帰り道は危なくないかとかです。

治安に関してはモスクワが他のヨーロッパの首都とあまり変わらないので、最低限の対策をした方がいいです。例えば、空港で荷物をしっかりと見たり、メトロに乗る際、特にラッシュアワーの時にすりに合わないように気をつけたり、夜遅い時間に一人で歩かないようにしたりして下さい。

モスクワではアメリカのように非常に危険な治安が悪いエリアがないです。昼間のうちにどこも自由に歩き回ることができます。

ロシアで滞在する時に外で警察官に止められる時があります。この場合、身分証明書をチェックされるので忘れずにビザのあるパスポートと登録証を持っておいて下さいね。登録は宿泊先に発行してもらえます。それ以上見せる必要はないです。学生の場合、学生証を提示して、外交官の場合、外交カードを提示すればいいです。

ロシア文化情報 4

ロシア人は何を食べるの?どういう食べ方するの?

Шаблон

ロシア人は一日3食を摂ります。朝、仕事に行く前に朝食を食べて、13−14時に職場で昼食を摂って、夜家で夕食を食べます。朝食べる量は少ないです。普段、サンドイッチやゆで卵またはスクランブルエッグやヨーグルトとカッテージチーズです。食後はブラックコーヒーか紅茶を飲みます。

もともとロシアの昼ご飯の時間帯は13時から15時まででした。最近、外で食べる人が増えていますが、昔はそんなことはなかったです。職場によりますが、社員食堂が付いている所もあります。基本的な昼ご飯とは必ずスープとメインディッシュと紅茶またはコンポート・ジュースというセットです。

Шаблон

晩ご飯は家族全員揃って食べます。普段、一つのメインディッシュの後は必ず紅茶を楽しみます。

近年、大都市では外食する人が増えています。ランチ(ビジネスランチと表記されるのは多い)の時間は12時から16時までで予算はだいたい300ルーブルまでです。

ロシアのテーブルマナーの特徴は必ずパンの二種類、黒パンと白パンが出るということです。黒パンとは独特の味を誇るライ麦のパンです。黒パンはロシアの伝統的なパンです。ロシアといえば黒パンです。外国に暮らしているロシア人は一番恋しい食べ物はやはり黒パンのようです。せっかくですから、かならず一口をどうぞう!

ロシア人は食べるたびにヴォッカを飲んでいると考えている外国人が多いですが、もちろんウソです。ロシア人はヴォッカを飲む条件と言うのは何かお祝いすることがあって(誕生日、結婚式など)沢山親戚や友達が集まった時に限ります。最近、ビールも人気がありますが、寒い季節にはあまり飲まれていないです。夏、暑い時に伝統的な飲み物、「クヴァース」が非常に人気高いです。

モスクワのレストランとカフェについて

Шаблон

モスクワではイタリア、フランス、グルジア、ロシアなどの各ヵ国の料理を楽しめるレストランがたくさんあります。レストラン情報は「The Moscow Times」という新聞に載っています。またはレストランの情報サイトrambler.ru、mail.ruの「レストラン」という欄を検索するといいです。リーゾナブルレストランと言えば、チェインの「ミューミュー」、「ヨルキ・パルキ」、「グラブリ」というセルフサービスレストランをお勧めします。小さな居心地の良いレストランで300から400ルーブルの予算でロシア家庭料理のようなシンプルで美味しい物が召し上がることが出来ます。

Шаблон

モスクワをぶらぶらしている時に「コフェ・ハウス」、「ショコラードニツァ」、「コフェマニア」などのチェインのコーヒーショップが沢山あることに気づくでしょう。コーヒーエスプレッソの最安値は60ルーブルです。コーヒー以外はライトカクテル、ジュースがあり、ケーキやサンドイッチやサラダなども召し上がることが出来ます。

もし、カフェに行く時間がない場合、外のキオスクで食べ物が買えます。安くて美味しい食べ物は「クローシカ・カルトーシカ」(ジャガイモちゃん)というチェインのキオスクで買えます。大きなジャガイモの中に選べるサラダ具材が詰め込まれています。または、「ルースキエ・ブリヌイー」(ロシアのクレープ)、様々な中身のあるロシア風のクレープです。

Шаблон

高級レストランではキャッシュでもクレジットカードでもお支払いが出来ます。しかし、クレジットカードで払いたい場合、お持ちのカードの種類が取り扱っているかどうかを確認して下さい。また、小さなカフェではお支払いは普段キャッシュのみになります。チップの金額が決まっていないですが、だいたい勘定の10−15%という計算になります。

もし、男性のあなたがロシア人の女性と一緒にカフェやレストランに行くことになったら、お会計の時にあなたが支払うことを期待されるのは頭に入れておいて下さい。ロシアでは男性が払うという決まりがあります。もちろん、相手の女性は自分で払うと言った場合、それは心配するものではありません。通常、団体で食べに行ってもその前に男性陣はお互い勘定の金額を割り勘にする約束をします。

ロシア料理

ペチカ

昔はロシアの全ての食事がロシアのオーブン、「ペチカ」で作られました。炉内温度は暖炉の温度ほど高くはなかったが、長い時間この温度が保たれました。伝統的な食器であるクレイポットに食べ物を入れて、ペチカに入れていました。そうしたら長くゆっくりと調理されていました。そのため、出来上がった料理は少しお粥の状態に近かったです。ロシア料理の最古とされているのはさまざまな穀物と野菜を使った料理です。それは様々なカーシャ、粉類(パン、ピロシキ)とスープです。「シーとカーシャは我々の一番大事な食べ物だ」という言葉は昔から伝わってきました。元々ロシアでは肉があまり食べられていなかったです。魚がまれに食べられていました。

Шаблон
カーシャ

現代でも色んな種類のカーシャをよく食べます。オートミールやセモリナ粉のカーシャがよく児童の給食に出ます。そばのカーシャは付け合わせとしても単独料理としても食べられます。そばのカーシャにバターを入れるとより美味しく召し上がることが出来ます。また、カーシャのよくある食べ方と言うのはカーシャのお皿に大量に牛乳を入れるという食べ方です。最初から牛乳で茹でる方法もあります。

Шаблон
パン

ロシアの主食はパンです。ロシア人はパンをたくさん食べます。ロシアのテーブルにいくら様々な料理が並べられても必ずパンを添えます。以前は、労働者や農民がスープを食べる際、黒パンの500g〜1kgまで食べていました。多くの場合、パンだけが彼らの昼食でした。

ロシアではパンの種類がたくさんありますが、二つの大きなグループに分かれています。小麦粉でできている「白パン」とライ麦で出来ている「黒パン」です。黒パンはロシアの昔から伝わっているパンで独特な味と香りを持っています。ロシアでしか味わえないものです。

Шаблон
ブリニィー

パンと同じようにブリヌィーの歴史も長いです。ロシアの異教の時代では、ブリヌィーは、特別で神聖な食べ物であって、様々な儀式の時に使われていました。特定な場所で特別な服を着用して調理されました。調理の流れが秘密のベルに包まれていました。子孫を見守ってもらうように最初に焼いたブリヌィーは死んだ先祖のために置かれていました。徐々に異教の春を迎える節分祭り、「マースレ二ツァ」ではブリヌィーがとても大事な役割を果たされるようになりました。ブリヌィーは丸くて暖かいのでまるで 太陽のようでした。マースレ二ツァの時にみんなブリヌィーを作って食べました。そういうことによって段々暖めて春を近づける太陽を奉っていました。いつも大量に作られました。マースレ二ツァの時に一週間にわたって、外でずっとブリヌィーを作り続けていました。そして、春を迎える歌を歌ったり、踊ったり、去って行く冬を象徴する醜い藁人形を燃やしていました。

Шаблон Шаблон

伝統的にロシアで、小麦粉の様々なタイプから大きくて丸いブリヌイーが作られていた。現在、ブリヌイーは完全に小麦粉のみから作られています。理想なブリヌイーとは、柔らかくてふかふかしています。より柔らかくて美味しくするためには必ずサワークリームまたは溶かしバターを塗ります。ちょっと脂っこくなったブリヌイーにスパイしーでしょっぱい中身、イクラ、塩漬けの魚などを入れます。中身をブリヌイーに包んで出来上がりです!完全にロシアの伝統的な食文化を感じたい人には、ブリヌイーを食べる前にはウォッカのショートを飲むのはお勧めします。これは伝統的なロシアのごちそうです。

現在、ブリヌイーは謝肉祭以外の時もよく食べられます。基本的な作り方以外はサイズを小さくしてジャム、マーメレード、コンデンスミルクなどの甘い中身のブリヌイーがあります。もちろん、美味しいのですが、多数のロシア人は依然として塩辛い中身のブリヌイーを好んでいます。

Шаблон
クヴァース

伝統的なロシアの飲み物の中で特に人気があるのはクヴァースです。アルコール度は1.2%にすぎない自然発酵によって作られる低アルコール飲料です。クヴァースの歴史は1000年以上続いています。クヴァースがリトアニアとポーランドでも人気があります。クヴァスは体にいい炭酸飲料で、夏の暑いときに欠かせない存在です。しかし、独特な風味のせいでクヴァースが苦手な外国人が多いです。慣れないとすぐに気持ちよく飲めないかもしれません。最近、市販でペットボトル入りのクヴァースが販売されています。

オクローシカ

クヴァースのベースに夏限定のスープ、「オクローシカ」が作られています。材料は細かく刻んだ茹でジャガイモとキュウリ、ゆで卵、青ネギです。最後にクヴァースとサワークリームを入れます。味付けは塩です。以上は基本的な作り方のですが、ミジンギリにした冷蔵庫の残り物を入れても結構です。昔の村人のオクローシカの作り方はもっと簡単でした。青ネギとクヴァースと黒パンだけでした。お好みに合わせて作ってみて下さい。

Шаблон

スープ

ロシアの伝統的なスープといえば、ボールシチ以外はシー、オクローシカ、ソリャーンカとウハがあります。オクローシカのことを既に紹介したので、一番有名なボールシチのお話ししましょう。

ボルシチ

ボルシチとはロシア、ポーランド、ウクライナ、モルドヴァなどのスラブ系とヨーロッパの国々で愛されているビートのスープのことです。ボルシチのもとは肉ブイヨンです。ブイヨンにビート、キャベツ、人参、ジャガイモ、パセリ、タマネギ、トマトなどを入れます。作り方が微妙に違って色んな種類のボールシチがありますが、必ずの共通点はこってりすることです。

Шаблон
シー

国際的であるボールシチと違ってシーは元々ロシアの伝統的なスープです。昔のロシアでは全てのスープは「シー」と呼ばれていましたが、現在はきゃベーツが入っているスープのみ「シー」と言います。シーに入れるキャベーツは新鮮な物に限らず、漬け物のキャベーツも使われていたので独特な酸っぱい味になっていました。基本的な作り方と言うのは肉(たまに魚)の出汁をしっかり取ってからタマネギ、人参、セロリ、ジャガイモ、ディル、まれにキノコを入れるのですが、一番多く入れるのはキャベーツです。深めのお皿にシーを入れて、一口サイズに切った肉とサワークリームを添えて食べます。一般的に黒パンと一緒に召し上がります。

Шаблон

春は旬の刺草や酸い葉から「みどりのシー」が作られています。シーと同じような酸っぱい味がするのでキャベーツが入っていませんが「シー」と呼びます。普段、サワークリームとスライスされた茹卵が添えられます。

Шаблон
ソリャーンカ

ソリャーンカはシーほど人気がない理由とは調理時間がより時間が掛かってしまうことです。肉(魚、キノコ)ブイヨンがベースになるので少しシーに似ています。ジャガイモ、キャベツ、タマネギ、人参以外は必ずピクルズと刻んだ肉の何種類か刻んだ魚を入れます。スパイスとトマトピューレで味を整えて、かなり濃い味の料理になります。

注意!ロシア料理ではもう一つの「ソリャーンカ」という煮込んだキャベツ料理があります。ソリャーンカスープと関係ないのでご注意下さい。

Шаблон
ウハ

いわゆる魚スープがよく「ウハ」と呼ばれるのですが、それは間違っています。ウハとは新鮮な魚からできたスープで透明なブイヨン

Шаблон

ロシア文化情報 5

知り合いの女性それともガールフレンド?

Шаблон

ロシア語では「знакомый/знакомая」(知り合い)または「друг/подруга(友達)という言葉があって、使い方に気をつけなければなりません。

普段、同僚、隣さんなどの友達ではないが知っている人のことを「знакомый/знакомая」(知り合い)と言います。または、あまり良く知らない人のこともそういいます。

しかし、「друг」(友達)を使う場合、昔からよく知っている相手のことを言います。「школьный друг」(小・中・高校の友達)、「старый друг」(昔からの友達)、「близкий друг」(親友)などの言い方があります。友達とはより親密な関係と共通の趣味なだがあります。 「друг」とは男性名詞にも関わらず、女性に対しても使うことができます。例えば「Мария – она мой самый близкий друг:マリヤは私の一番親しい友達です」。

「подруга」(女性友達)という単語は少し違います。女性が使う場合、「女性友達」という意味になりますが、男性が使う場合、ちょっと違う意味になります。ある女性と友達関係であるのを示したい場合、ロシア人男性が「знакомая」(知り合い)という言葉を使います。逆に恋人関係であることをアピールしたい場合、「моя подруга/моя девушка」(私の彼女)という言い方を使います。」

あなたの女性友達、彼女について話す時に以上にニュアンスを忘れないで下さいね。

モスクワの地図

Шаблон

もしまだモスクワの地図を購入していないならば、早めに買っておいたほうがいいでしょう。また、インターネットにも載っていますのでダウンロードできます。 map.yandex.ru.

モスクワの地図をご覧になって下さい。よく見たらモスクワには環状線になっている通りが多いことが分かります。中心部になっているクレムリンを囲んでいるように見えます。現在、クレムリンは大統領の職場になっていて、そこで大事な政治的な行事が行われています。昔はクレムリンに力を握っている人が住んで活躍していました。ロシア正教のトップである総主教もそちらに住んでいました。クレムリンは住処でありながら立派な要塞でした。クレムリンのエリアではロシアの歴史的な建造物がたくさんあります。

かつてモスクワという町は大きな壁のあるクレムリンの中収まるスケールでした。しかし、段々町が広がっていってクレムリンの周辺に「キタイ・ゴーロド」といういくつかの要塞ができました。現在まで残っていないですが、場所の名前はそのままです。それから、並木道が沢山ある環状線の通りができて、最後にモスクワの一番重要な環状線、「サドーヴォエ・コリツォー」という大通りができました。

モスクワからロシアの他の町に行けるように環状線と共に大通りをクロスする通りも出来上がりました。西にあるスモレーンスク市に続いているスモレーンスク通り、トヴェーリ市に続いているトヴェーリ通り、ドミトロフ市まで行けるドミトロフ通りです。トヴェーリ通りはモスクワの一番活気のある大通りとされています。高級レストランやショッピングセンターや人気のある劇場や映画館などが沢山集まっています。

モスクワのメトロは大旨地上にある通りに沿っています。中心部に環状線があって、その環状線をクロスする沢山の半径方向があります。クレムリンまたは赤広場などの中心部にある所に向かっている場合、中心に集まっている駅、どれかに降りればいいです。例えば:アルバーツカヤ駅、オホートゥヌイ・リャード、プローシャジ・レヴォリューツィイなどです。

ロシア料理(続き)

ペルメー二

ロシア料理には「ペールメーニ」という水餃子があります。元々ロシア料理ではないのですが、ロシア人に愛され続けています。ペルメー二はスープの中でも、そのままでも食べられますし、冷凍して長く保存できる万能の料理です。

ペルメーニはまず中国からモンゴルの侵攻者と共にシベリアに渡って、そこから全国では広まりました。シベリアでは晩秋に初霜が降りる頃、村の全員でペルメーニを大量に作っておいて、大きな袋に入れて、外で一番寒そうなところで雪の上に置いていました。そういうふうに春まで保存できていました。

ロシアではペルメーニの中身を甘い物を避けて、肉や魚やキノコなどにします。多くの人はペルメーニが茹でられたブイヨンも飲むのが好きです。ロシアではペルメーニにバター、コショウ、サワークリームを添えます。

Шаблон
ジャガイモ

もう一つ、ロシアで馴染んできた食べ物といえば、ジャガイモです。今考えられないですが、ジャガイモが17世紀までにロシアでは全く知られていなかった。新しいものに目がないピョートル1世は初めてオランダからジャガイモの一袋を送ってきた。しかし、調理の仕方が不明だったため、最初はあまり受け入れられなかったにもかかわらず、農民達は政府に無理矢理にジャガイモ畑を作らされ、食べるように命令させられました。そうしたら、食中毒が大変に流行ってきました。農民達は食べ方が分からず、生で芋を食べたり、葉っぱの部分を食べたりしていたのは原因でした。19世紀の後半にやっとジャガイモの素晴らしさが理解されて、幅広くロシア料理に使われるようになりました。現在、パント同じぐらい主食として重要な役割を果たしています。ジャガイモを使って1000料理以上作ることが出来ます。

Шаблон
カブ

古代ロシアでは最も人気な野菜だったのはカブです。キャベツの仲間であって、キャベツと人参と同じように冬期に保存できて、あまり手間掛からず育ちます。

Шаблон

カブは体にいい野菜です。昔、食べ物としてだけではなく薬用としても使われました。現代はカブの栽培があまり行われていないです。あるカブの種類は家畜の餌ように植えられています。

カブの食べ方は2パターンがあります。生で食べるか茹でて食べる方法です。カブを調理するのはあまりにも簡単ですので、次のような慣用句が生まれました:「茹でたカブより簡単」。意味は「とっても簡単」です。

昔、カブが人気だったことを語るのは「大きなカブ」というロシアの童話です。話の趣旨はある日お爺さんとお婆さんの庭に巨大なカブが植えてきました。カブがあまりにも大きくて誰も抜くことが出来ないという話です。

Шаблон
ウオッカ

ヴォッカという言葉が「ヴォダ」(水)という略語であってロシアで17世紀から知られています。15世紀まではロシアではヴォッカが全く飲まれなくて、ビールや蜂蜜が飲まれていました。15世紀からロシアの修道院で麦から作るようになりました。その頃、イヴァン3世はヴォッカの製造と販売に国の規制を掛けました。「ヴォッカ」という単語自体は18世紀から馴染まれるようになりました。それまでに「麦のワイン」と呼ばれていました。

ロシアのヴォッカの高い質の理由はアルコールの浄化にこだわる所にあります。18世紀の半ば頃、公家の人たちにヴォッカ製造することは許可が出ました。それで、皆さんがヴォッカ製造に積極的に取り組んで殆どの家で「ヴォッカ製造のミニ工場」が出来上がりました。こういう環境で出来たヴォッカの特徴とは様々なベリージュースのフレイバーで芳香されたことです。

1894〜1896年にヴォッカの作り方の国立標準が定められました。それは、アルコール40%になっている液体が石炭のフィルターで通されたウォッカのことを指していました。そのブランド名は「モスコーフスカヤ・オソベンナヤ」(モスクワの特選のヴォッカ)でした。そして、政府専売ウォッカ販売が始まりました。

モスクワとサンクトペテルブルクにロシアのヴォッカ博物館があります。

Шаблон

ロシア人は毎日ヴォッカを飲んでいるというのは偏見に過ぎないです。ロシアではヴォッカと他のアルコール類はお祝いの集いに集まった客さんと一緒に飲みます。ロシアでは脂っこい料理やスパイシーな料理を食べる際ヴォッカを飲むと消化が進みますし、酔いにくくなります。

体がひどく冷えた場合も少しヴォッカを飲むと暖まります。薬用としてヴォッカを飲む場合、黒パンかピックルズを食べるといいです。

ロシアのお祝いに欠かせないホロデーッツ(煮凝り)とセリョードカ・パッド・シューバイ(塩漬けニシンサラダ)というごちそう

ホロデーッツ(煮凝り)

ホロデーッツ(煮凝り)はあまり美味しそうな見た目じゃないにも関わらずロシア人がとても好きな伝統的な料理の一つです。ホロデーッツの作り方は次のようです:肉の塊(牛肉または豚肉)を弱火で4−5時間に混みます。「肉」といってもホロデーッツ用でしたら、自然なゼラチン、膠(にかわ)が豊富な牛の頭、足、豚の耳、尻尾も入れます。そして、冷やしたらゼラチンが固まります。冷やす前に肉に人参、ハーブ、ニンニクと香辛料を入れます。最高に美味しいです!

同じ方法で魚のホロデーッツを作りますが、ゼラチンも入れます。魚の場合、料理名はホロデーッツではなくて「ザリヴノーエ」と言います。魚の部分にブイヨンを注いで冷やします。

Шаблон Шаблон
セリョードカ・パッド・シューバイ(塩漬けニシンサラダ)

セリョードカ・パッド・シューバイという料理名を直訳すると「オーバーを着ている塩漬けニシン」という変わったタイトルになります。物があまりないソ連時代に「安くて美味しいごちそう」というコンセプトから生まれた料理の一つです。ロシアでどこでも安く手に入る塩漬けニシンとビートからこんな美味しい料理を考えられて、上で面白い名前まで付けられるのは想像力の豊かなたくましいロシア人女性しかいないでしょう。なぜニシンはオーバーを着ているのかなと思いますよね。それは、お皿にまずニシンを置いて、その上に温かい分厚いオーバーのようにニシンが見えなくなる程ボリュームたっぷりのビートと他の野菜の層が置かれます。

Шаблон

作り方は極めて簡単です。平たい皿に一口サイズに切った塩漬けニシンを置きます。そして、上に茹でた野菜を重ねます。まず、ジャガイモの層、次にゆで卵、人参、ビートです。各層にマヨネーズを掛けます。最後に来るビートの層にもマヨネーズを表面に伸ばしてパーセリやゆで卵のカットで飾ります。

Шаблон

サラダについて

もちろん、サラダはもともとロシア料理ではありません。庶民は細かく材料が刻まれているサラダをあまり好まなかったです。18世紀に西の文化が流行るようになったらサラダとオドーヴル(ロシア語ではザクースカ)も西の食文化として入りました。20世紀に至ってザクースカはとても人気になって、ロシアの色に染まって国民に愛されるようになりました。例えば、欧米ではロシアサラダと呼ばれている「オリヴイエー」サラダです。

「オリヴィエ」サラダ

19世紀の始めにモスクワでフランス料理屋さんを営んでいフランス人のリュシエン・オリヴィエ氏はオリジナルサラダを考えました。それでそのサラダのことをオリヴィエサラダと呼ばれるようになりました。

ソ連時代は手に入る食材が限られていたので、ロシア人女性はシンプルで美味しいオリヴィエサラダのことを思い出してきました。もちろん、フランス人シェフがこだわった高級材料が他の物に入れ替わりました。現在、オリヴィエの材料とは細かく切った茹で卵、人参とジャガイモやソセージまたは肉、新鮮なキュウリとタマネギです。塩コショウで味を整えてドレッシングの代わりにマヨネーズを入れました。時々、レストランではオリヴィエサラダのことを「ストリーチュヌイ」サラダといいますが、全く同じです。

Шаблон
ヴィネグレット

もう一つの人気が高いロシアのサラダといえばヴィネグレットです。「ヴィネグレット」という言葉はフランス語で「ドレッシング」という意味ですが、ロシアでは特定な料理を指すようになりました。オリヴエーと同じように茹でジャガイモと人参を入れますが、さらに茹でビートを必ず入れます。おかげで独特な甘い味と赤色になります。そして、ピクルズ、タマネギ、グリーンピース時々漬け物のキャベツを入れてサラダ油を絡みます。

ロシア人は非常にマヨネーズが好きでほとんどのサラダにマヨネーズを入れます。もし、お好みではなかったらマヨネーズを入れないようにと早めにお願いしておいて下さい。

Шаблон
ピロシキ

ピロギはブリヌイーのように昔から伝わっている料理です。ロシアのペチカはピロギを作るのに最適で様々な種類のピロギがありました。美味しいピロギは家族円満の象徴でした。また、見合い、結婚式、葬式でも重要な役割を果たしました。徐々にピロギはお祝いのごちそうの欠かせない料理になりました。「ブリヌイーがなければ謝肉祭ではなくて、ピロギがなければ誕生日祝いは台無しだ」と言われています。

Шаблон

現在はピロギの基本的な作り方とは甘くない生地を使ってキャベツか肉の中身を詰め込みます。まずは基地の層がきて、次に中身を入れてからまた生地で塞ぎます。ピロギの小さいバージョン、「ピロシキ」が非常に人気です。中身が様々です。煮リンゴ、ジャムなどの甘い中身のピロシキもあります。焼き方は2パターンがあります。オーブンで焼くかフライパンで焼く時もあります。

Шаблон
紅茶

初めてお茶が17世紀半ばぐらいにヨーロッパと同じように中国のルーツを経てロシアにお土産として渡りました。最初の頃は薬用の物として流行っていましたが、徐々に全国に広まりました。ロシアの屋台ではお茶より、紅茶の方が値段が安くてよく売れていました。その頃から、ロシア人は紅茶が大好きになりました。

昔は紅茶のための湯を特別な機械、「サモヴァール」で作っていました。そして、紅茶の葉っぱを別の容器でとても濃く作っておいていました。サモヴァールを使う時代が終わりましたが、二つの容器を使う紅茶の作り方は今でも同じです。まず、カップに少々濃く作った紅茶を入れてから別のヤカンで作ったお湯を注ぎます。

Шаблон

紅茶を食後楽しみます。普段、紅茶に様々なお菓子やジャム、ケーキ、クッキーなどが添えられます。ロシア人は紅茶にレモンと砂糖や蜂蜜を入れるのが好きです。そうしたら独特な風味が出てきます。

ロシア人は毎食後ごとに紅茶を飲みます。もし、人の家を訪れたら奥さんは必ず紅茶とお菓子を出してくれます。紅茶を飲みながら話がスムーズに進み、余計な緊張が取れます。また、時間と手間がかからないのにとても楽しいです。

Шаблон
サモワールについて

「サモヴァール」とは昔から伝わってきたお茶・紅茶の湯を作るための機械のことです。サモヴァールの方式が中国で考えられましたが、そちらでは紅茶の湯を作るのに使われなかったようです。

サモヴァールの中心部にパイプがあって、そのパイプの中に木材チップ、松ぼっくり、石炭などの燃焼する材料が入れられました。パイプとサモヴァールの外壁の間、水で埋めます。サモヴァールに入れた物がすぐに燃焼して水を早く加熱するように、上部に高い煙突見たいな管をかぶせていました。サモヴァールで作った湯は長時間熱いまま保たれています。小さなティーポットで濃い紅茶を作る時にこの湯は使用されます。

Шаблон

サモヴァールは初めてロシアで登場したのは18世紀末にトゥーラという所でした。トゥーラは兵器作りの都市で、ある職人が暇な時間に工房でサモヴァールを作ってみたそうです。サモヴァールがすぐに売れたので、生産が繁盛して小さな工房が大きな工場に返信しました。19世紀半ばぐらいにトゥーラには28件のサモヴァール工場がありまして、年に12万個のサモヴァールが生産されました!容量が様々で、3リットルの物から25リットルまででした。

現代、本物のサモヴァールを使う機会が殆どないですが、トゥーラでは今でも電気サモヴァールが作られています。もし、トゥーラに行く機会があれば、必ずサモヴァール博物館に足を運んでみて下さい。そちらではサモヴァールの歴史に触れられ、形の様々なオリジナルサモヴァールを見ることが出来ます。

Шаблон

ロシア文化情報 6

モスクワの地下鉄は一番早くて便利な移動手段です。

Шаблон
拡大ボタンをクリックして下さい。

メトロ(地下鉄)を利用したい場合、各駅にある窓口で切符を買わなければいけないです。片道切符もありますし、2回、5回利用できる回数券も買うことができます。また、1ヶ月乗り放題の定期券も購入できます。窓口の横にある運賃リストで料金が確認できます。窓口でどういう切符を購入したいかを言わなければいけないです。例えば: «билет на одну поездку»(片道切符)、«билет на две поездки»(往復切符)、«билет на пять поездок»(5回数券)などです。

紙の切符の中に電子チップが入っています。改札口を通る所で当てて、緑色のライトが光ったら通って下さい。

モスクワのメトロの線がモスクワの大きな通りと重なります。メトロの地図の中心にサドヴォエ・コルツォーという大通りに沿っているコルツェヴァヤ環状線(Кольцевая)があります。 この環状線を色とりどりに別れている複数の半径方向線がクロスします。線が重なっている所で乗り換えることができます。線が違っても重なっている所にある共同の駅の名前が統一されているものもあれば(Проспект Мира:プロスペクト・ミーラ)、線によって駅名が複数にあることもあります。例えば:Охотный ряд/Театральная/Площадь революции:オホトヌイリャード・テアトラーリナヤ・プローシャディレヴォリューツィイなどです。

メトロの表が各駅、各ワゴン車にありますので、万が一間違えて乗ってもすぐに確認して乗り換えることができますのでご安心下さい。

全国ロシア博覧センター、ヴェー・デー・エヌ・ハー(ソ連国民経済達成博覧会)などの見所について

Шаблон

ヴェー・デー・エヌ・ハー駅の周辺にある全国ロシア博覧センターは非常に面白い所です。そちらでは様々な展示会やイベントを見たり、公園で散歩したり、買い物したりできます。

ヴェー・デー・エヌ・ハー(ソ連国民経済達成博覧会)はソ連時代のイデオロギーを表す歴史的な場所です。残酷な弾圧、惨殺、生活の貧困という時代に1939年1日にソ連国民経済達成博覧会が開かれました。定期的に開かれるようになった博覧会で展示された優れた立派な野菜、果物のサンプルや肥えている家畜や特選の穀物などという展示品を見て誰もが息をのんでいました。それは社会主義が目標としていた理想の社会の生活モデルになっていました。

当時の展示会のために宮殿みたいな立派な展示館が建てられました。建築物によるアンサンブルの中心にコルホーズ広場に大きな噴水があります。博覧会場の入り口のがん専門のすぐ横に、ヴェラ・ムーヒナ作の巨大な「労働者とコルホーズの女性」像が建っています。社会主義の素晴らしさを表す象徴でした。

スターリン風の展示館の周りにリクリエーションゾーンが設けられました。広い公園や遊園地、野外劇場などが作られました。ゴーリキイ公園と同じように温かい季節にロールスケートや自転車で回って、冬はスキーとアイススケートできる広さです。

Шаблон

モスクワには緑が多いです。中心部は緑に富んだ並木道に覆われています。環になっている大通りはいくつかの並木道から形成しています。例えば、スレーテンスキー通り、ロジデストヴェンスキー通りなどです。

中心部に小さいながらも昔からある公園があります。例えば、すぐクレムリンの近くにあるアレクサンドロフスキー・サード(アレクサンドルの庭)です。降りる駅も同名、アレクサンドロフスキー・サードになります。または、ミーラ大通り26番地にあるアプテーカルスキー・アガロード(薬剤師の畑)やカレートヌイ・リャード駅の周辺にあるエルミタージュ庭などです。

他にもとても奇麗な青空博物館になっている公園が沢山あります。例えば:コローメンスコエ(同名の駅)、オスターンキノ、クースコヴォ(リャザンスキー・プロスペークト駅)、レフォールトヴォ(アヴィアもトールナヤ駅)、イズマーイロヴォ(イズマイロフスキー・パーク駅)、パルク・ポベードィ(同名の駅)、ツァリーツィノ(同名の駅)、ソコーリ二キ(同名の駅)、モスクワ大学の公園(ヴォロビョーヴィ・ゴールィ駅)などなどです。

Шаблон

もし、温かい季節にモスクワを訪れた場合、「川のトラム」という小さな船でモスクワ川を下るツアーをお勧めします。川のトラムはノヴォスパスキー桟橋(メトロのプロレタールスカヤ駅)またはキエブスキー桟橋(メトロのキエブスカヤ駅)から出発してクレムリンの堂々たる景色を含めてモスクワの最も歴史のある場所を通ります。晴れた天気に恵まれたら、モスクワ川のツアーが最高の思い出になるに違いないです!

Шаблон

ロシア文化情報 7

モスクワの乗り物について。

モスクワではインフラが充実しています。地下鉄の他にバス、トロリーバス、トラム、タクシー、定路タクシーが一般的です。

乗り物の切符は比較的に安くて、各バス停の近くにある「モスゴルトランス」という特別なキオスクで買い求めることが出来ます。一回分の乗車券のみならず、回数券も買えます。一回分の料金は20ルーブルです。

Шаблон

もしそういうキオスクを見てられない場合、直接に運転手さんから買うことが出来ますが、5ルーブル高くなります。バス、トロリーバス、トラムに乗る際、前のドアを入って下さい。そこで改札口が設置されて、切符を通す所があります。切符を通してから、中へ進んで下さい。

Шаблон

国営の乗り物以外、個人が営んでいる乗り物も充実しています。例えば、タクシーと「マルシュルートカー」という定路タクシーです。マルシュルートカーとは国営のバスと同じルートを走るマイクロバスのことです。よく混んでいるルートには欠かせないです。サイズが小さいので、バスより融通をきいてより早く着く場合が多いです。また、乗車料はバスより安いという場合もあります。前もって切符を買う必要がありません。入ったら直接に運転手さんにお金を渡して下さい。切符も渡されず、そのまま乗るパターンが多いです。なぜなら、10人しか乗れないので、万が一払っていない人がいればすぐ分かります。

Шаблон

モスクワのタクシーは高いです。タクシーに乗る場合、平均、30分ごとに350ルーブルがかかります。外で直接にタクシーを拾うよりも、インターネットか電話で頼んだ方が無難です。タクシーを提供するサイトがたくさんあります。例えば、<http://www.taxi-sms.ru>、<taxi-sms.ru>です。また、「モスクワ、タクシー」と言うキーワードを入力して自らでも検索してみて下さい。

殆どのロシア人にとってはタクシーはまだまだ贅沢ですから、必要に応じて公式なタクシー会社に頼むよりも、いわゆる「チャーストニック」(個人さん)を利用する人が多いです。チャーストニックとは個人の車で余裕のある時により安い値段で人を運んだりします。つまり、サービスの内容はタクシーと同じです。チャーストニックを捕まえるのは簡単です。道路の近くで手を挙げたら、何台か止まるはずです。

Шаблон

行きたい所を言ったら、運転手さんは値段を言います。もし、納得したら、取引が成立されます。しかし、全く知らない人の車に乗る行為はかなりのリスクを伴っています。ロシア人の友達が一緒にいない夜の時間とかに一人でそういう車に乗るのはとても危険です!

c

車、地下鉄、バス以外は自転車で移動するという選択肢があります。残念ながらロシアの大都市では自転車があまり人気がありません。年、寒くて雨が多い季節が長いという気候的な原因が一番大きいです。荒れている天気の時に自転車に乗るのはともかく、冬では不可能です。また、路上では自転車専用の道がないですし、ロシアでは(特にモスクワでは)車運転が荒い人が多くて路上で自転車で移動するのは危険です。猛スピードを出す人もいるので、注意が必要です。

モスクワのカルチャーライフ

モスクワは昔から文化的に恵まれている所でした。都会のカルチャーライフは今でも充実しています。モスクワでは見るべきな面白いイベントについて簡単にご紹介しましょう。

モスクワでは長い歴史を誇る文化的な建造物がたくさんあります。その中は一番目立っているのはやはりクレムリンです。クレムリンとは街の真ん中にある15世紀の後半に出来ている偉大な石建ての要塞のことです。18世紀までにクレムリンはロシアの王様のレジデンスだったので、中に大聖堂や宮殿やイワン雷帝の鐘楼などが残っています。

Шаблон

クレムリンは赤広場にあります。モスクワのメインの広場になっている赤広場では聖バジル大聖堂(16世紀)やレーニン廟(20世紀)や歴史博物館(19世紀末)などの見所があります。

Шаблон

10世紀の末にロシア正教になったロシアでは大聖堂やロシア正教会や修道院などの宗教的な建造物が沢山残っています。有名な修道院の中で最も有名なのはノヴォデヴィチ女子修道院です(16−17世紀)。モスクワ風のバロッコスタイルのデザインが独特です。それに修道院の墓地ではロシアの有名な作家、画家、俳優、政治家などの優秀な人々が眠っています。

Шаблон

モスクワの美術館の中では最も有名なのはトレチャコフ美術館です。ラブルーシンスキー通りにある旧館には大昔から1917年の革命にかけてロシアの美術品のコレクションが幅広く納められています。新館には20世紀のロシア及びソ連時代の美術品が展示されています。

Шаблон Шаблон

面白い西ヨーロッパの美術品のコレクションをプーシキン国立美術館でご覧になられます。印象派とポスト印象派の立派なコレクションを個人コレクションが展示されている国立美術館の別館で楽しめます。

現代美術作品を見たい場合、ペトロフカ通りにある現代美術館または「ウィンザボド」現代美術センターの辺りにある小さなプライベートのギャラリーを訪れるといいです。

Шаблон

美術館以外は様々なテーマ別に別れている博物館がたくさんあります。あまりにも多いので全てを紹介するのは難しいです。以下のサイトで検索できます。 "museys.ru".

モスクワではクラシック音楽と現代音楽を聴くことが出来る所がたくさんあります。クラシックを聴きたい場合、ボルシャヤニキトスカヤ通りにあるモスクワの音楽院がお勧めです。この音楽院のステージにチャイコフスキー、ラフマニノフ、プロコーフェフ、ショスタコービッチ、ラストロポービッチなどの優秀な音楽家が演奏していました。

Шаблон

もう一つ最近出来た「音楽の家」という建物のホールではクラシックだけではなくて、ジャズ、フォーク、ロック、民族音楽が聴けます。

Шаблон

演劇がロシアに入ったのは17世紀半ばからなので、モスクワの劇場歴史があまり長くないです。しかし、現在、モスクワでは100健以上様々な劇場や演劇スタジオがあります。最も有名なのはボリショイ劇場です。現在、ボリショイ劇場は修復中ですが、となりにあるテアトラーリナヤ広場に最近できた建物では今でもボリショイ劇場の劇を見ることが出来ます。

Шаблон

また、ボリシャヤドミトローブカ通りにあるスタニスラフスキー劇場のオペラやバレェーが人気があります。この劇場のお芝居はいつも新鮮で見応えがあります。

モスクワの演劇場の中でもう一つ有名な所があります。最も歴史のある劇場の一つであり、ほとんどロシアの古典の話をお芝居にマリー劇場です。

特にチェーホフの芝居で有名なモスクワ劇術座(МХТ)はロシアの著名な監督、スタニスラフスキーとネミローヴィッチ=ダンチェンコにより19世紀末に設立されました。と言う訳で現在はチェーホフ記念モスクワ劇術座と呼ばれています。他には人気のある劇場と言えばタガンカ劇場、レンコム劇場、サティリコン劇場、ソブレメーンニック劇場、マヤコフスキー記念劇場、メイエルホルド記念劇場などなどです。

モスクワの見所を詳しく調べるには以下のサイトをお勧めします:http://www.moscow-hotels-russia.com/rus/sights" target="_blank">"moscow-hotels-russia.com

ロシア文化情報 8

モスクワ州の周辺

ペレデルキノ

ペレデルキノとはモスクワに一番近い別荘地です。モスクワから南西方面に20キロ離れています。奇麗な自然に囲まれている17世紀の教会と墓地が残っています。ペレデルキノは1936年から1960年までの間、ボリス・パステルナックが住んでいたことで有名です。現在はパステルナックの別荘は博物館になっています。他にも著名なロシアの作家の別荘もあります。例えば、児童作家のコルネイ・チュコフスキーと20世紀後半の詩人、ブラート・オクジャーワの別荘です。

Шаблон

セルギエフ・ポサード

セルギエフ・ポサードはモスクワから70キロ離れている所にあります。14世紀にセルギー・ラドネシスキーによって創建された至聖三者セルギイ大修道院の周辺にできた門前町を起源として成長してきました。大修道院の敷地内に15世紀から19世紀にかけて様々な鐘楼、教会、宮殿などが残っています。至聖三者セルギイ大修道院に飾るためにロシアの最も有名なイコン、「至聖三者」がアンドレイ・ルブリョフによって描かれました。

セルギー・ラドネシスキーは普通の修道士であって、それから修道長をつとめていたが当時の国民に尊敬され、影響を与えた人物でした。全国からアドバイスを求めている人が集まっていて、修道院のそばに住み着いた人が多かったので少しずつ町ができました。そして、セルギエフ市に成長しました。現在は、その都市はセルギエフ・ポサードという名前が付けられています。

建築物によるアンサンブル、至聖三者セルギイ大修道院は素晴らしいものとして認められてユネスコの世界遺産に登録されています。

Шаблон

コロムナ市

コロムナ市とは900年の歴史を誇るモスクワ州にある小さな町のことです。14〜15世紀にモスクワの次に盛んな都市でした。16世紀の半ばぐらいに国の南にある国境を侵入する敵から守るためにコロムナのクレムリンという要塞が建てられました。この立派な建造物が現在まで至って残っています。クレムリンの敷地内に16世紀の修道院や教会が残っています。コロムナにある大聖堂、鐘楼、教会は様々な建築の流行を代表しています。伝統的なロシアの建築スタイルもあれば、ロシア風バロッコやロシア風ゴシックやクラシックスタイルの建造物もあります。

コロムナのクレムリンが建っている大きな丘から三つの川が見える素晴らしい景色楽しむことができます。それはモスクワ川、オカ川とコロメンカ川です。

Шаблон

スーズダリ

スーズダリ市はモスクワから240キロ離れている古都です。昔からあまり姿を変えていないおかげで、18〜19世紀のロシアの地方的な町のイメージができます。それは、あちらこちらにある数々の古代の教会や木材の一戸建てや小さな個人の畑です。かなり田舎っぷりですが、12世紀にスーズダリ市はウラジーミル・スーズダリ大公国の首都をつとめました。現在はスーズダリがロシアの伝統文化を紹介する観光地になっています。訪れる人が多いのでインフラも整えて、泊まる所も沢山あって、ロシア文化に触れながら、ゆっくりできる所なのです。

Шаблон

ウラジーミル

ウラジーミルはクリャージマ川の河畔に建っています。スーズダリと40キロぐらいでしか離れていなくてとても近いです。ということでこの二つの都市歴史的に深いつながりがあります。

ウラジーミル都市は1108年頃にキエフ大公国のウラジーミル・モノマフにより要塞として建設されたといわれています。という訳で「ウラジーミル」と名付けられました。ウラジーミルが建設されてから都がキエフからウラジーミルに遷都されました。モンゴルのルーシ侵攻の前までは(13世紀の初め)ウラジーミルは経済的にも政治的にも大事な役割を果たしていました。また、そこで独特なウラジーミル・スーズダリ流のイコンのスクールや建築のスクールが成立しました。ウラジーミルの数々の白石大聖堂はウスペンスキー寺院(生神女就寝大聖堂)とドミトロフスキー大聖堂(12世紀)を含めてユネスコの世界遺産に登録されています。

Шаблон

ヤロスラーヴリ

ヤロスラーヴリは1000年ぐらい前にヴォルガ川沿いに位置する河港都市で、コトロスリと言う小さな川との合流点にあるロシアの古都市です。ヤロスラーヴリはキエフ大公国のヤロスラーフ1世に建てられました。という訳で「ヤロスラーヴリ」と名付けられました。町の紋章には洞察力と力強さを表している2足で立っている熊が描かれています。

ヤロスラーヴリでは18−19世紀頃のクラッシックスタイルの建造物や協会や修道院など沢山あります。町の中心部はユネスコの世界遺産に登録されています。ヤロスラーヴリは18世紀末にロシアの演劇を世間で広めたフョードル・ヴォールコフ俳優の出身地です。

Шаблон

トゥーラ

トゥーラはモスクワより193キロ、南の方にあります。歴史的に南の方から迫る攻撃によく耐えていました。トゥーラの近くに起きた最も有名な戦とは1380年のクリコヴォの戦いです。この戦では初めてモスクワ大公ドミトリー・ドンスコイの率いるロシア諸侯連合軍が、タタール部隊を破った戦いです。

トゥーラでは昔から兵器の製造が充実しています。現代は町には兵器博物館や名物であるロシアの伝統的なケーキ「プリャーニク」博物館が面白い見所になります。

Шаблон

トゥーラ州で最も人気のある観光地は、作家レフ・トルストイの家と墓地のある「ヤースナヤ・ポリャーナ」です。トルストイはこの家で生まれ育って、著名な作家として認められてからも長年住み続けていた家です。トルストイの小説の中、家の雰囲気や周りの村の風景などのモデルになったのはその家と周りの風景です。

Шаблон

大ノヴォゴロド(ヴェリーキー・ノヴォゴロド)

大ノヴォゴロド市は面白い歴史を誇る都市です。モスクワから北西方向500キロ以上離れていてかなり遠いです。イリメニ湖とそこから流れ出るヴォルホフ川に沿って位置します。大ノヴォゴロドはモスクワより古い都市です。最古の記録は856年に遡って、キエフ市の前にルーシ(古代ロシア)の都をつとめていました。12世紀から15世紀末までに大のヴゴロドは「ヴェーチェ」という民会に治められる封建共和国の都市でした。ロシアの歴史ではそれは唯一の民主的な統治の例です。他にはプスコフ都市共和国がありまして、独立したまま大のヴォゴロド州に入っていました。

ノヴゴロドは他の殆どの君主国と違って、ノヴゴロドはモンゴル・タタールに征服しなかったことで有名です。別名通り(ヴェリーキイ・ノヴゴロド:偉大なるノヴゴロド)、ノヴゴロドは経済的、政治的にも非常に活発的で、商売も盛んな町でした。16世紀後半に、モスクワ皇帝イワン雷帝によって征服され、破壊されました。最終的にノヴゴロドはモスクワ大公国によって合併されました。

Шаблон

カザン市

カザン市はロシア連邦に属するタタールスタン共和国の首都です。タタールスタンの人口の半数ぐらいはタタル人です。他にはタタル人はヴォルガ川沿いに住んだり、シベリヤに住んだり、カザフスタンに集まって住んだりします。タタル人の宗教はイスラム教です。独特な文化、歴史、伝統を持っています。

カザンはキプチャック・ハン国に属していましたが、16世紀の半ばからカザン公国がモスクワ大公国に合併されました。現代のカザン市は人口の多いにぎやかな都市です。今でも東と西の間の商売と政治的な架け橋になっている重要な都市です。

Шаблон

サンクトペテルブルク

現在、サンクトペテルブルク は首都の次に重要な都市です。サンクトペテルブルク は1712年から1918年までにロシア帝国の首都をつとめてきました。町の生計をしていたピョートル1世はアムステルダムとストックホルムのようにフィンランド湾に新しい都市を作ろうとしました。しかし、ロシアの生活スタイル、文化、宗教、気候などの影響によって、ヨーロッパから来ている様々な分野のエキスパートの努力にもら関わらず、サンクトペテルブルクは独特な雰囲気を持っていますが、ロシアそのものの都市でした。サンクトペテルブルクのアーキテクチャはとてもユニークです。1990年にサンクトペテルブルクの歴史を感じる中心部と郊外の宮殿や公園などロシアの世界遺産のリストに登録されています。

Шаблон

サンクトペテルブルグは200以上の博物館、70の劇場、多くの図書館、展示場 、ギャラリーなどを誇るロシア文化の首都です。様々な文化的なイベントがよく行われます。19世紀の「ロシア文化の黄金時代」は、この街を舞台にして流れました。最も有名な作家、詩人、科学者や芸術家、哲学者や政治家などはサンクトペテルブルクと縁が深かったです。

Шаблон

しかし、サンクトペテルブルクでは古典時代の芸術に触れることが出来るだけでなくて、現代風で活気に満ちている都市ですので、現代のロシアンロックの文化の首都ともよく呼ばれています。

サンクトペテルブルグは、しばしば"ネヴァ川上都市と呼ばれています。巨大で広々としたネヴァ川は都市を通じて、街の主軸になっています。ネヴァ川以外にサンクトペテルブルクでは20以上の河川と20以上の疎水があります。サンクトペテルブルクの橋は魅力的で、特に印象的なのは夏のシーズンにはネヴァ川の跳ね橋です。

Шаблон Шаблон

サンクトペテルブルクは特殊な海洋性気候の地方です。夏は暑く、冬は湿度が高くて温和です。5月下旬から7月末までの期間に白夜という現象を見ることが出来ます。日が暮れるのは非常に遅く、日没が実質的に朝と一致します。そういう時期にサンクトペテルブルク市民は遅くまで外でぶらぶらしたりします。冬の季節はほとんど日が出ない厳しい数ヶ月の後で明るい時間は楽しいものです。数多くのアーティストや詩人、作家などが白夜の神秘的な雰囲気にインスパイヤーされて作品に挑みました。

Шаблон

ロシア正教の協会とイコンについて。

ロシアを旅しながら、芸術性の高い見所を多く見られますが、中では一番多いのは宗教的な建造物です。こういう場所を訪れて、満喫するのに少しでもロシア正教会の文化について知識を持つのが必要があります。

世初期における東ヨーロッパ平原にキエフ大公国(キエフ・ルーシ)という国がありました。キエフはその国の中心であり、首都でした。その国のトップに立っていた大公王は、かなりの権力を握っていました。10世紀末にウラジミール大公国の命令でキリスト教の東部のバージョン、「正教会」という宗教を受け入れました。当時は正教会であるビザンチン帝国はヨーロッパの中で最も強力な国でした。ロシアの洗礼を促したウラジミール大公王はロシア正教会では聖人のランクに見なされるようになりました。

Шаблон

正教会と共にビザンチンからロシアへ正統派の図書や宗教儀式や建築のスタイルなごが渡ってきました。最初の頃はロシア正教会を構築するために海外からエキスパートが招待されましたが、後ほどロシア人の職人さんが腕を上げて自ら協会を建てるようになりました。ロシア正教会の特徴と言うのはベースがクロス(十字)の形になっていて、そして上部がドームの形をしています。そのため、このタイプの協会は、クロスドーム型と呼ばれています。最古の正教会の一つは、キエフの聖ソフィア大聖堂(11世紀の初め)とノヴゴロドの聖ソフィア大聖堂(12世紀初め)になります。

Шаблон

ロシア正教会の内部にはベンチもいすもありません。礼拝式がいくら長引いても人々が立ったまま聴いています。協会の内装は、ビザンチン帝国と同じようにモザイク、フレスコ画やイコンを飾りました。聖人の肖像を置く文化がありませんでした。イコンがある程度、壁に飾られますが、最も立派なイコンは人が立っていた場所と祭壇の間にある特別な壁、「イコノスタス」という所にありました。

Шаблон

イコノスタスは、最初の頃、一列に並んでいるイコンしかなくて小さかったですが、徐々に置くイコンの数がふていて15世紀の辺りには上部の方にもイコンが置かれて豪華になりました。アイコンの位置は、厳格な規則に従うものとします。 イコノスタスの中央に「王家の扉」と呼ばれているドアがあります。正教会の主なお祝い、イースターの週に、特別に王家の扉を開けっ放しにします。また、礼拝式の時も開けます。司祭以外の出入りが絶対に許されていません。

イコンの創作は非常に盛んになってきました。イコンを描いた人はサインをしなかったため、殆ど書いた人の名前が知られていないです。イコンを描く際、一番大事な条件とはビザンチンの描き方に従うことでした。イコンは表象的であって、変わらない様子を表しています。様々な記号を使うことによって無知な人でもイコンを「読む」ことができました。例えば、よく出て来るパターン、服の色、聖人のポーズやジェスチャーなどです。聖人の頭が小さく描かれ、体が細長くなっていました。そういう風に体のプロポーションをあえて変えて描くことによって聖人の素質が強調されました。また、イコンでは遠近画法が無視されて、大切な部分が遠くても大きく描かれました。そういう風に人間と神様の間のつながりを感じさせる作品が出来上がりました。

Шаблон Шаблон Шаблон

17世紀までのロシアではイコン以外の造形美術が存在しなかったです。各都市に独特なイコンの書き方が伝わってきました。ノヴゴロド風、ウラジーミル・スーズダリ風、ヤロスラーヴリ風、モスクワ風などです。

ロシア文化情報 9

遊びに来て下さい!

ロシア人はホームパーティーが大好きです。友達同士や親戚同士は喜んでお互いのアパートに遊びに行ったりします。昔からロシア人はカフェやレストランで集まるよりも心地のいい家の雰囲気の方を好んでいます。または、訪れた家の奥さんの自慢な料理を食べることが出来ます。それに、ソ連時代はカフェの雰囲気が食堂みたいなところだったし、レストランは高過ぎてとても一般の人には行けそうもない所でした。

家に招く理由として誰かの誕生日祝いやお正月祝いや謝肉祭やイーストなどが考えられますが、特に理由がなくても紅茶を飲みながらおしゃべりしたいという理由も普通です。

ロシア人にとっては楽しい時間の過ごし方とはまず最初にテーブルを囲んで食べながらお喋りすることです。ロシアでは客さんに美味しいごちそうを出すことはとても大事な文化のひとつです。なぜそうなったかと言うと、昔はほとんどの市民は貧乏な暮らしをしていまして、十分な食事を摂っていませんでした。なのに、ちょっと無理しても客さんをもてなすというのは友情と懇意の証です。食料品が不十分である時代はとっくに終わりましたが、客さんをもてなす心が今でも変わらないです。普段、客さんを迎える女性が、出来るだけ数多く美味しい料理を作るように頑張っています。大切なお客さんのためにテーブルの上には高いワインとウォッカを置きます。公式な挨拶の場では喜びを表すために親愛なるゲストにパンと塩を提出するという儀式があります。昔はパンは主食でした。そしてロシアで塩は非常に高価で手に入りにくいものでした。ロシア語で「太っ腹」という単語が「パンと塩」という言葉に語源しています。

Шаблон

ロシア人女性は客さんを迎えて、ごちそうを作ったり、料理を出したり、お皿を下げたり、洗ったりします。「そこまでしてお客さんを呼ぶメリットがないじゃない!疲れるだけでしょう!」というかも知れませんが、客さんに料理や家の雰囲気や奥さんの容姿などがずっと褒められて、元気が出ます。それに、昔からロシアの家庭では家の仕事をほとんど女性がやっています。

普段、客さんが夕方、6−7時ぐらいにお見えになります。男性陣は差し入れ、ケーキ、チョコレート、お花、ワインのボトルを持ってきます。そのささやかな贈り物は奥さんの努力に感謝を表し、ご褒美になります。たいていロシアのアパートは非常に狭いので立食が難しくて、皆さんはすぐにキッチンのテーブルを囲みます。お客さんが来る時にテーブルは大事な役割をつとめます。

客さんが座ったら、奥さんは料理を出します。ロシア人はヨーロッパ人みたいに食前酒を飲まないので、すぐに自分のお皿に料理をのせてガラスにお酒をついで乾杯の挨拶を待っています。

Шаблон

「タマダー」という幹事さんを選びます。タマダーという言葉も幹事を選ぶ習慣もソ連時代にグルージヤから来てすぐに全国に広がりました。一般的に家の主人または他の客さんのことを知っているのりのいい人がタマダーになります。タマダーは最初の乾杯の挨拶してから徐々に他の客さんに挨拶一言を回します。という風に食事を食べることが楽しいゲームみたいな雰囲気になります。普段、客さんのために乾杯してから、最後になったら主催者のために乾杯します。誕生日会の場合、客さんは乾杯挨拶に預かったら、順番に誕生日の人に挨拶を送ります。ロシアでは自分にお酒をつぎません。全員にお酒が渡ったら、乾杯して一斉に飲むのは常識です。

Шаблон

近年、外食をしたり、レストランやカフェでお祝いする人が段々増えていますのでロシアのホームパーティーの文化が少しずつ去っていく傾向があります。そしてもう一つの原因といえば大都市の場合、最近の若い女性は家に客さんを呼んでその面倒を見る時間もやる気もありません。しかし、ロシアの田舎ではこういう伝統はまだ生きています。

Шаблон

ロシアの祝日

ロシアでは何かを盛大に祝うのは大好きです。それはどこでも同じでしょうが、ロシア人の場合、旧祝日でも外国の祝日でもおかまいなく祝います。びっくりしないで下さいね!

お正月

お正月、新年が始まるお祝いは比較的に最近から祝われるようになりました。1700年はピョートル1世は祝うように命令してから、その日にエゾマツを飾ってホームパティーをするようになりました。

Шаблон

ロシアではお正月がキリスト教のクリスマスとスヴャトキー(クリスマスの週:1月7日の降誕際から1月18日の主頭節まで)と一致する冬のお祝いです。革命が起きるまでにメインの冬お祝いと言えばロシア正教のクリスマス(1月7日)でした。または、スヴャトキー(聖なる夜)は冬の一番盛り上がって楽しい時期でした。その時期に子供達のためにツリーを飾ったり、プレゼントを上げたりしていたので、ちびっ子達がそれを楽しみにしていました。

現在、ロシアでは正式なクリスマス休みがありませんが、その時期に人々が仕事を程々にして友達のところに遊びにいったり、散歩に出かけたり、劇場や映画館にいったりしてゆっくりしています。

Шаблон

暦の変更によってロシア正教のクリスマスは1月7日になりました。しかし、12月25日にカトリックのクリスマスを祝う人も多くいて、その後、全国がお正月(12月31日〜1月2日)を迎えます。そして、1月7日にロシアのクリスマスを祝います。年末から1月の始めにかけて大事な取引なだを計画しないで下さい。ロシア人は休んでいます!

2月23日、3月8日そして2月14日という祝日

ソ連時代、2つのユニークな祝日が出来ました。それぞれ3月8日と2月23日に祝われる日なのです。3月8日は「国際女性の日」元々ソ連と友好の国々の女性権利を訴えている女性のために成立されました。

Шаблон

そして、2月23日はソ連では赤軍の日として祝われるようになりました。

Шаблон

しかし、徐々に3月8日は「全ての女性」:お母さん、姉妹、娘、恋人の為に祝われるようになりました。その日、女性周りの男性から花束やプレゼントをもらったり、コンプリメントを言われたりします。そして、女性だけがちやほやされるのは良くないから平等になるように大好きな男性のためにも軍隊の日、2月23日が「全ての男性の日」に変わりました。その日に、お父さん、兄弟、息子、同僚に女性からプレゼントします。こういうソ連の祝日は時代を生き抜いて今でも国民の人々に楽しく祝われています。

最近、アメリカ由来の恋人同士のお祝い、「バレンタインデー」が人気があります。2月14日に祝われる、バレンタインデーにロシア人の若者がお異性にハート形のカードをあげたり、プレゼント交換したりします。

Шаблон

復活際(パスハ)

Шаблон

ご存知の通り、ソ連は無神論の国でした。という訳でクリスマスも正教会の最大の祭り、「パスハ」も祝われなかったです。しかし、時代が変わって現在、「パスハ」は正式な祝日になりました。ロシアでは信者の人じゃなくてもパスハを祝う人が殆どです。家族揃ってテーブルを囲みます。お客さんも見えて、その日の特別な食事をします。それはクリーチ(パンの一種)、色とりどりに染められたゆで卵、パスハ(カッテージチーズで出来ているお菓子)です。

謝肉祭(マースレニツァ)

パスハの40日間前、大昔から伝わっている祭りがあります。それは謝肉祭、「マースレニツァ」です。マースレニツァは偶像崇拝の祭りであって,10世紀にロシアが正教会になる前からずっと祝われていました。この祭りの趣旨は冬を送って春を迎えるということです。

Шаблон

ロシアのマースレニツァはヨーロッパの謝肉祭によく似ています。人々がゲームしたり、踊ったり、仮想したり、おかしな人形を作ったり、特別な料理を食べたりします。現在は、主に未だ残っているのは特別な料理を食べる習慣ですが(詳しくは「ロシア料理」を参照)、外のイベントもよくあります。マースレニツァは正式なお祝いではないですが、とても活気のある楽しいイベントです。

Шаблон

5月1日

一番楽しい春のお祝いと言えば、ソ連時代から受け継がれた5月1日という祝日です。かつてその日(メーデー)は労働者が統一して権利要求と国際連帯の活動を祝う日でした。その日、全国で「平和に労働する5月!」または「労働者の光栄!」という標語布板を持っている人たちは全国で平和のデモをしていました。

Шаблон

イデオロギーの時代が終わりましたが、好きなお祝いが名前を「春と労働の日」に変えてそのまま残りました。ロシアでは5月に入ったらやっと春が訪れます。新緑が生えてきて、晴れた日が増えます。多くのロシア人はその休みの日に長い冬休みを明けて郊外にある畑に行って休むだけではなくて作業もします。ということで、現在のタイトルはぴったりですね。

Шаблон

5月9日、勝利の日(第2次世界大戦においてナチスのドイツに勝った日)

大きな国民的なお祝い、5月9日、「勝利の日」です。1945年の5月9日にソ連全国の通信機や新聞ではナチスのドイツの完全な降伏が発表されました。第2次世界大戦で27億人以上の犠牲も払った国民には待ち遠しい報告でした。5月9日にモスクワの赤広場または他の大都市の広場で立派な軍隊パレードが行われます。

Шаблон

戦争を生き抜いたベテランが多くいた頃は毎年、お互いの安否を確認するのに「勝利の日」にボリショイ劇場の前で集まっていました。または各都市のパレードにも参加していました。しかし、時が経つに連れてそういう人たちが殆ど生き残っていません...。

Шаблон

ロシア文化情報 10

ロシアの象徴:バラライカ、サモワール、マトリョーシカ、コザック帽について

かつてサモワール、バラライカとマトリョーシカはロシアではとても人気ありました。どんな家庭でも紅茶を作るのに欠かせないサモワールがありましたし、バラライカがないお祭りだって考えられなかったですし、マトリョーシカほど手に入りやすくて親しみやすいおもちゃがなかったです。しかし、時代が変わって、現代のロシアの家庭ではバラライカもサモワールも見当たらないです。マトリョーシカの場合、お土産屋さんで外国人しか買わないです...

しかし、現代でもロシア民謡のアンサンブルならバラライカを聞くことが出来ますよ。バラライカとは中型の楽器で三角の形をしているボーディーに弦が三本が張ってあります。18世紀頃から知られているバラライカの音がよく響き渡ります。「バラライカ」という名前の由来は発音が似ている「ぺらぺら喋る・適当な話をする」という言葉から来ています。

Шаблон

弾きやすいという理由でバラライカは庶民の間でものすごい人気でした。人々はバラライカを弾きながら歌ったり、踊ったりして、チャストゥシカ(抒情的・生活的・滑稽的内容の主に4行のロシアの俗話)を歌ったりしました。例えば、以下のようなチャストゥシカ:

フェージャ君はある日に風呂場の栓を締めないで出かけた
栓を締めないで出かけた
全員の隣人さんは
タイタニックの最後を思い出させてくれた


Шаблон

サモワールについて

「サモヴァール」とは昔から伝わってきたお茶・紅茶の湯を作るための機械のことです。サモヴァールの方式が中国で考えられましたが、そちらでは紅茶の湯を作るのに使われなかったようです。

サモヴァールの中心にパイプがあって、そのパイプに石炭、木材チップ、松ぼっくりなどの燃料を入れて、外側とパイプの間に水を注ぎます。燃料が燃えやすくするためにパイプの上にさらに長い管をかぶせます。サモヴァールで沸騰した湯が冷めにくいです。この湯を紅茶の葉っぱが入っている小さなポットに注いで、濃い紅茶を作ります。

Шаблон

サモヴァールは初めてロシアで登場したのは18世紀末にトゥーラという所でした。トゥーラは兵器作りの都市で、ある職人が暇な時間に工房でサモヴァールを作ってみたそうです。サモヴァールがすぐに売れたので、生産が繁盛して小さな工房が大きな工場に返信しました。19世紀半ばぐらいにトゥーラには28件のサモヴァール工場がありまして、年に12万個のサモヴァールが生産されました!容量が様々で、3リットルの物から25リットルまででした。

現代、本物のサモヴァールを使う機会が殆どないですが、トゥーラでは今でも電気サモヴァールが作られています。もし、トゥーラに行く機会があれば、必ずサモヴァール博物館に足を運んでみて下さい。そちらではサモヴァールの歴史に触れられ、形の様々なオリジナルサモヴァールを見ることが出来ます。

Шаблон

マトリョーシカ

マトリョーシカが誕生したのは100年前ぐらいです。モスクワの人形を作っている工場に日本の人形がプレゼントされました。仙人のカタチしている丸い人形を見た工場の職人が刺激を受けて独自の人形を作ってみました。子供の顔をしていて、一番大きな人形はロシア衣装を着ている若い女性でした。一番小さな人形は赤ちゃんの顔になっていました。セルゲイ・ミリューティンという画家によって描かれました。マトリョーナという名前の略したバージョン、「マトリョーシカ」と名付けられました。

Шаблон

誰からも愛されるマトリョーシカがセルギエフ・ポサード市の職人さんに作られるようになりました。注文が絶えずに来ていまして、今でも様々な模様のマトリョーシカが多く作られています。

耳付き帽子

厳しい寒さの時にしっかりと耳を守ってくれる耳付き帽子は冬用の帽子として昔から人気があります。

現在、ウサギの毛皮でできた安い物から人気のデザイナーが作った高級な物までバラエティー豊富なウシャーンカが販売されています。男の人にはウシャーンカほど適当な冬帽子がないでしょう!

Шаблон

ロシア人男性とロシア人女性について。

ロシアを訪れた外国人や滞在する外国人に「ロシアはどこが一番気に入っていますか?」と訪ねるとよく聞く返事は「ロシア人女性!」(もちろん、男性の回答者の場合)一見、ユーモラスな応答ですが、実際、統計データによりますと、外国人と結婚するロシア女性の数は年々増加していることが分かります。それに、ロシアの女性は欧米人だけではなく、中国人と日本人とも結婚します。そこで二つの疑問が生じます。まず、ロシアの女性はどうしてそんなにモテますか?そしてもう一つ、ロシア人男性はどうしていますか?

Шаблон

ロシア人の女性は奇麗美人が多いです。しかし、見た目よりも振る舞い方などにご注目してみて下さい。歴史的に(特に20世紀において)ロシアでは女性の人口に比べて男性の人口の方が少なかったので、女性が歳をとることとともに増している高い競争確率の中で本能的に男の人をゲットするための技を磨いてきました。

Шаблон

一番最初にロシア人の女性の外見を気になりますね。ロシアの女性は自分に合っているメイクや服装などに時間掛けています。ロシアでは冬の季節でも殆どの女性はハイヒールブーツを履いていますよ!大変不便なところや足に悪いことも気にせず、いつでも美しく見えたいことに心掛けています。同じ理由で最新のファッションの洋服を身につけて、アクセサリーも欠かせないです。とにかく男の人にモテルように努力をしています。言うまでもなく男の人はそういう努力を見て、気分がいいのですl。

Шаблон

ロシアの女性の性格と言えば、謙虚で優しくて、よく働く女性です。

すべての女性が感情的ですが、ロシア女性特に感情的でロマンティックです。ロシア女性は、恋する時、人生の現実的な面をあまり考えずに恋愛に没頭します。ロマンチックで情熱的であるロシア人女性の性格がモテル秘訣の一つでしょう。

ロシアでは、数々の革命、戦争やその他の変化にもかかわらず、家庭や社会における女性の役割に対する考え方が非常に保守的です。 基本的に男の人は様々な分野において主権を握り、女の人が家庭を守って、育児をする存在です。もちろん、現代のロシアでは殆どの女性が働いていますが、キャリヤをするとは限りません。ロシア人女性にとってはキャリヤよりも、自分の家族、家庭が大事なのです。殆どの女性は政治、大企業などに興味を示さないです。男の場であることが決まっていて、成功するチャンスが少ないからです。

Шаблон

ではロシア人男性は?ロシア人男性は今大変です。

Шаблон

一方、小さい頃からロシアの少年たちは男らしくて誠実な男の理想のもとに教育されています。男の子が女の子を傷つけてはいないです。立派な男は絶対にそんなことをしませんから。また、男の子は泣くことも禁じられます。立派な男は泣いからです。そういう風に少年たちがいろんなことを我慢しなければいけません。いい男は力強くて、自信にあふれ、積極的でなければならないです。多少、アグレッシブでも、それは良いこととして認められます。思春期の頃の少年達は多くタバコを吸ったり、お酒を飲んだり、大声で話したり、わざと汚い言葉を使ったりしています。言わんばかりに、「ほら、俺がクールだ!もう立派な男だ!」と。おそらく、彼達にはそういう表面的なところが「立派な男」に見えるのでしょう。

他方、全員が格好つけるのは出来ませんし、男同士で自分が弱くて自信がないことを打ち明けるのは不可能になります。ロシアでは男同士では思いやりを見せたり、同情したり、つまり、感じていることを言ったりするのはナンセンスです。

男の人は家庭においても主導的な役割をはたさなければいけないという考え方の社会で育てられ、ロシア人男は気力を失ってしまいます。特に女性が同じくらい、また男の人以上稼ぐ大規模な都市の場合です。たとえ、奥さんは自分より収入が少ない夫に対して全く文句を言わなくても、男が心理的に不快に感じることがあります。それでもし男性が職場でうまくいっていない場合、状況は悪化します。こういう状況の中で、自分の社会的に果たさなければいけない役割が違うため男性は女性のように家族のことに切り替えたり、家事に没頭するが出来ず、精神的にとても苦しんでいます。それで落ち込んだ男の人はロシアでよく使われる最も原始的な方法でストレス発散します。その「方法」とは「ウォッカ」です。

しかし、何もかもそんな暗くありません。ロシア人男性がロシア女性に負けず、勤勉でロマンチックで情熱があふれる性格です。ロシアの作家、ドストエフスキーは誰よりも上手にそういう性質を小説で見せつけました。男の人が女性に恋しているならば、彼女の心を勝ち取るために、全力を尽くします。彼は時間とお金を惜しまず、毎日、優しいことばを掛けたり、高価な贈り物をしたり、頻繁に花束を贈ったりします。

Шаблон

ロシアでは「男の友情」という概念があります。もちろん、他の国々の男の人も友達がいますが、ロシアの男性にとっては男の友情がとても大事です。知り合い、同僚などは友達のカテゴリーに入らないです。普段、親友と言える人が一人か2人ぐらいしかいないです。そして、そういう人間が親、兄弟よりも親しい場合が多いです。困っていたら助けてくれるのも親友です。自分の秘密を打ち明けられるのも親友です。こういう友情は幼い頃や少年時代に生まれて、何十年経ってもお互いの事情が変わってもそういう関係だけがずっと変わらないです。このような友情について沢山の歌や詞が作られています。小さい頃からそれに憧れる少年が多いですが、ずっとこういう関係を保つことができるのは全ての人ではないです。


© 2007-2012 Center For International Education